くじら橋
土橋貞恵翁(幼少名は多助)が安政3年(1856)市民の生活通路として現在の市役所と北島医院の間に架けたのがこの「くじら橋」です。
土橋貞恵翁は長田村(現:長田)で出生し、医術を学び32才のとき森山村(現:森山)で開業し、郷里のためにと色々な公益事業を行なった。諫早公園造りの際に架けた木橋の腐食が早いため、大正末期にこの橋を移設し、更に昭和32年諫早大水害後、眼鏡橋の公園移設のおりに現在地に移設されました。
「くじら橋」のいわれは、本明川を遊泳していた鯨が光江の水門から迷い込み、市役所付近に現れたからではないかといわれています。