諫早公園
戦国時代に築かれた高城(山城)跡を公園とした市街地の中心にある緑豊かな場所です。
全山が国指定天然記念物「諫早市城山暖地性樹叢(いさはやししろやまだんちせいじゅそう」に覆われています。諫早公園は平成18年に「日本の歴史公園100選」に選定された上山公園の中心的公園で、山腹のつつじは大正時代に市民のボランティアで植えられ、毎年春には花見客で賑わいます。
公園内にある眼鏡橋は、天保10年(1839)に、当時の領主・領民が永久不壊の願いを込めてそれまで大きな橋がなかった本明川に架けた石造りのアーチ橋です。諫早水害の後で公園内に移設されています。石橋では日本で最初に重要文化財に指定されています。また、山頂には樹齢600年の巨大なクスの木がそびえています。
【諫早城址山城】戦国時代、伊佐早地方(諫早市)を初めて統一した西郷尚善は、町にある小高い山に城を築きました。山の北側は本明川を天然の堀とし、南側の絶壁の下には、空堀や土塁を造り二重三重にも守りを固めました。そのお城は、山の地形を巧みに利用した山城でした。その山城は高城と呼ばれ、別名、亀城とも呼ばれました。その後、天正15年(1587)豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は、龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められて高城を追い出されます。
それからは諫早家の高城になるが、江戸時代になると幕府から「一国一城令」が出され、高城は姿を消しました。